「香り高い味と突き抜けるようなスパイシーさを出すには、新鮮な香辛料を使用しなければならない」とは【インドカレー カーマ店主・大野】の言葉。
様々な香辛料を取り寄せ、試行錯誤を繰り返した結果、安価なものは保存状態が悪く、仕上がりの味にムラが出てしまい理想の香りを立たせることが難しい。だからこそスパイスの鮮度にこだわるのである。
そしてその鮮度を活かすからこそ欧風カレーのように煮込まない。
鍋に投入したその瞬間から刻々と風味が変化していく数十種類のスパイス。それぞれに強弱のあるスパイスが鍋の中で個性を発揮し、ちょうど一致するその一点を見計らい火から降ろす。
気候や食材によって日々微調整が必要なため、カーマには細かな調理マニュアルが存在しない。
スパイスの配合は毎日少しずつ改良され変わっているが、この一点の見極めこそが中華料理、日本料理を巡り、インド料理、それもインドカレー一点に辿り着いた大野の美学、真髄である。
この「インドカレー カーマ」を愛して止まないのが「PLAYBOY」の編集長、集英社インターナショナル社長などを歴任してきた島地勝彦氏。
40年以上にもわたり本の街・神保町を戦場としてきた彼は、神保町に数多あるカレー屋をほとんど全て巡り、最後に帰って来たのが「インドカレー カーマ」なのである。
当時は週に一度、この地を離れた今でも月に一度は食べにやって来るが、その理由は「美味しいからに他ならない」という。定期的にどうしても食べたくなるというそのスパイスの味は「麻薬的」という彼の言葉が実にピッタリだ。昔、ある飲食業の社長に彼の店の、超高級食材がふんだんに使われた1万円のカレーをご馳走になったことがあり、そのお礼にと「インドカレー カーマ」に連れて来たが、実に満足していただけた、なんていうエピソードも。
大野弘は高校時代から見習いとして働いていた老舗中国料理店の「赤坂飯店」に正社員として採用、そのまま順風満帆の人生が始まろうとしていた矢先、思い立ったように単身渡米。バンクーバーやロサンゼルス、ニューヨークと渡り歩きながら、各地の日本料理店で腕を磨く。
その中で、たまたま住んだアパートの大家がインド人だったことが大きな転機となる。当時独り身だった大野を、このインド人が度々食事に誘ってくれたことで、それまで家庭のカレーしか知らなかった大野は「インドカレーなるもの」に遭遇する。「この複雑怪奇の味はなんだ」その味に衝撃が走ったと同時に魅了された大野は、帰国後「インドカレー カーマ」を開いた。
創業21周年を迎えた2016年。通販に特化した「カーマ工房」をオープンさせた。
神保町の店の味を再現、といっても「インドカレー カーマ」には細かな調理マニュアルは存在しない。
生鮮と呼んでも差し支えないほど新鮮なスパイスを日々の気候や個々の食材の
状態に合わせて微調整して使うから、機械的に分量通り作ればよいというものではない。
だから、工場ではなく「工房」なのである。
レトルトにしないのはカレーがパッケージの中で変化してしまうから。
その美味しさを保てるのは2日が限度という。
それを過ぎると角が丸くなってしまい、いい意味での刺激が和らいでしまうのだ。
つまり冷凍でなければ、スパイスの生きた「インドカレー カーマ」の
美味しさを全国に届けることはできないのである。