超巨粒の種なし黒ぶどう!
送料無料
誰もが驚く巨粒ブドウ『藤稔』。粒が大きく高糖度で、種もない、ブドウ狩りで大人気ですが、店頭にはほぼ並ばない希少品種です。
藤稔(ふじみのり)は、神奈川県藤沢市長後地区の青木一直氏が「人々に喜ばれる葡萄」をテーマに開発されました。品種登録されたのは1985年7月18日です。掛け合わせは「ピオーネ」×「井川682」で、共にぶどう栽培に多大な功績を残した井川秀雄氏作出の品種です。
「井川682」は、大粒で栽培しやすい一方、肉質と貯蔵性が良くありません。それに反して「ピオーネ」は、肉質が良く旨みがあり、貯蔵性も良い反面、栽培が難しい品種です。
青木氏はお互いの長所が短所を補い合うこの2品種を交配することで1粒の直径が500円以上にもなる、まさに「人々に喜ばれる葡萄」を誕生させました。
その見た目だけではなく、巨峰よりも糖度が高く食味も良好な藤稔は、瞬く間に人気を博し、青木氏の指導により日本各地で栽培されるようになりました。しかし、房落ちがしやすいため非常に気を使わなければならず、また年々もっと栽培しやすくて扱いやすい新品種が登場してきたことから、生産量はかなり減っています。
この商品に関するご質問、お問い合わせはこちらから
消費期限 | 目安として到着後2日 |
---|---|
保存方法 | 冷蔵 |
販売情報 | 販売終了 |
【勝沼は日本のブドウの歴史そのもの】
日本におけるブドウ栽培の始まりは2説あり、まず1つは大善寺説。奈良時代の僧・行基が修行の満願の日に右手にブドウを持った薬師如来が夢枕に立ったので、早速その像を彫り、大善寺に安置したところ、ブドウの樹を発見。それを薬草として育て村人に広めたとするものです。
もう1つは雨宮勘解由説。1182年、農民の雨宮勘解由が石尊宮を参詣した際に他のヤマブドウとは異なる樹を発見し、それを持ち帰って栽培したものが広まったとするものです。
時代も異なる2説ですが、いずれも場所は現在の勝沼。つまり勝沼こそが日本のブドウ発祥の地であるというのは、どうやら間違いなさそうです。
その後、江戸時代に甲州街道が整えられると、そこを通って幕府にブドウが献上されるようになり、その余剰が神田の青物市場で取引されるなど、勝沼のブドウが商品としての価値を持つようになります。
また、松尾芭蕉は「勝沼や馬子もぶどうを食いながら」と歌い、食の図鑑「本朝食鑑」にも「甲州ブドウを第一」とする記述が残っているなど、この時代には「勝沼=ブドウ」としてすっかり定着しました。