年明けみかんの一大産地として名をはせる
静岡三ヶ日の代表品種
「青島みかん」
関東圏、中部圏に近い静岡県の大産地「三ヶ日みかん」栽培の始まりは、「紀州みかん」です。今から約300年前(享保年間=江戸中期)、三ヶ日町平山地区の山田弥右衛門(やえもん)が、西国巡礼の時に紀州那智地方から「紀州みかん」の苗木一本を持ち帰り庭の片隅に植えました。その後、100年ほど前に三ヶ日に入ってきた、種がない「温州みかん」が広まり現在に至ります。
土質は、中央構造線の南側にあたり、秩父古生層からなる赤土でミネラルを含んでいます。肥沃とは言えず、「やせた土地」です。しかし、生産者がきちんと世話をしながらコントロールすることで、高品質な締まった果実を生産することができます。
日本のみかん産地をみていくと、中央構造線は三ヶ日以外にも、和歌山、愛媛、熊本、長崎まで一直線に見事にみかん産地を通過しており、秩父古生層からなる土はみかん栽培に適しているとも言えます。
肥沃な土地では、果樹は熟すのが早いですが傷みやすい果実になります。やせた土地は、ゆっくり時間をかけなければ味が乗らないため、熟成に時間がかかる青島種のみかんに力を入れてきました。
三ヶ日は、そういった土の性質からも12月以降に収穫されるみかん栽培は適した土地なのです
三ヶ日みかん、ブランドの真髄
・温暖な気候と、水はけの良い土壌は柑橘栽培の適地
・京浜と中京のど真ん中に位置する絶好の流通条件
・遠州人の積極果敢な気質
気候と交通の要所に
位置する土地
年間通じて暖かく、みかん栽培に適した年間降雨量、滅多に降ることがない雪、柑橘栽培に適した三ヶ日の気候です。浜名湖の北岸に広がる南向き穏やかな傾斜地は、日照に恵まれ水はけがよく、作業効率がいいのが三ヶ日の強みです。
首都圏と中京圏の巨大消費地の真ん中に位置する、流通条件でも他産地に対して優位性を発揮します。 販売力があり、ビジネスとして確立された柑橘栽培を続けられたからこそ、三ヶ日は持続的な投資が可能となり、長年、日本有数の産地として発展してこれたのです。
最先端の技術導入・
販売努力こそ、
三ヶ日柑橘の原動力
三百年の歴史
三大恩人を祀る三ヶ日
三ヶ日の柑橘畑を見下ろす高台の途中に 大きな石碑があります。
そこには三人の偉人が刻まれています。様々な苦難の歴史とともに、多くの先人が三ケ日の礎を築きました。
今から三百年ほど前に和歌山那智から紀 州みかん苗木を持ち帰った山田弥右衛門。
二百年ほど前に三河から温州みかんの苗木を持ち帰った加藤権兵衛。
昭和初期に、施肥・防除・剪定などの栽培技術を農家に広めた中川宗太郎。
この三氏は三ヶ日みかんの三大恩人と呼ばれ、今でも人々の尊敬を集めています。
戦後、いち早くブランド化に
取り組んだ三ヶ日
戦争中の統制解除後、三ヶ日のみかん販売は揺れに揺れました。新しい市場開拓を試みる組合出荷販売と個人販売がぶつかり合い、その混乱は昭和36年まで続きました。昭和36年、出荷組合の捨て身の一手「東京出荷』が大成功を収めたことで、出荷組合つぶしの 動きは沈静化し、その後は出荷組合を中心に、ブランディング作戦と品質向上策を矢継ぎ早に打ち出し、現在の三ヶ日の高い評価が定着することになったのです。
AIで選別される三ヶ日みかん
2021年11月に新柑橘選果場が竣工
日本屈指の巨大選果場が新しくなりました。
収穫は早朝から行われます。収穫したみかんはそのまま選果場へ。
生産者はコンテナでみかんを持ち込みます。納品時間を分けて生産者が待たないような工夫がされています。
産者は車を降りることなく、自動で荷下ろし。負担を減らすことで生産者は、みかんづくりに専念できます。
まずは大きな傷は目視ではじかれます。機械ではじけないところも熟練の検査員の目が光ります。
その後、1玉1玉を検査するために、センサー選別にかけられます。
80mのレーンが24本も。圧巻です。
最新鋭のAIセンサーとカメラで1玉ずつチェック。
結果は即時に、詳細に自動判別されます。重量、傷、糖・酸度など全てデータとして出ます
等階級ごとに分けられて、自動で箱詰めされます。
積み込みも全自動。1日最大60,000箱も作られます。
三ケ日のトラックで全国の市場に届けられます
3/16〜21出荷○ 「三ヶ日みかん 誉れ (青島種)」 静岡県産 優品以上 2〜3Lサイズ 約3.5kg 産地箱 ※常温 JAみっかび
2,980円(税込)
- 販売中 在庫数 70
- 豊洲市場ドットコム











