急斜地が育む 濃厚柑橘
愛媛県 玉津みかん

水はけの良い畑が
『玉津みかん』を甘くする

(右上)地下足袋でなければ踏ん張れない
(右下)収穫はモノラックという、小さなモノレールのようなもので行われます。
玉津地区と呼ばれるのは、愛媛県宇和島市吉田町を中心とするエリアです。
もともと、漁村であった玉津村が、合併を重ね、宇和島市となりました。
愛媛県のミカン栽培は、江戸時代後期に吉田町で始まったと言われるほど歴史ある産地です。
美味しいみかんを作るのには、「温暖な気候」と「水はけの良い農地」が欠かせません。
特に、水はけの良さは重要で、余分な水を溜め込まず、甘く濃厚なみかんが育つのです。
愛媛県のみかん畑はもともと傾斜地に作られることが多いのですが、
玉津地区の畑の傾斜は、愛媛の中でも随一。
傾斜角が50度にもなる畑も珍しくありません。
実際に取材しましたが、傾斜40度を超えると、体感的には直角に感じます。
ここまで傾斜がきついと、スニーカーや長靴での作業はできないので、
高所作業をするとび職の方などが使う地下足袋でなければ踏ん張りがきかないそうです。
農道も整備されていないので、「モノラック」というトロッコのような機械でみかんを輸送します。
正直、「よくこんなところに畑をつくったな」と思うのですが、とにかく、みかんを育てるには条件が良いのです。
この地域の土壌は、岩盤のうえに石灰質の土が30cmほどの厚さで覆っていて、
石灰質の土は水を貯めにくいため、雨はその下の岩盤を通じ宇和海へと流れていきます。
そして、その宇和海からは、太陽光が反射し、みかん畑にたっぷりと注がれ、みかんを更に甘く育てます。
玉津に集う若手生産者たち

(右)河野農園 河野雄哉さん
生産者の河野雄哉さんの畑を訪ねました。
河野さんは、玉津の農家の5代目です。
河野さんの畑は老木が多く、樹は大きく育っていました。
急傾斜地では、小さい木の方が育てやすいのですが、老木は若木よりも美味しい実をならせるので、
作りやすさよりも、代々受け継がれた老木を守りながら、その味を大切に育てています。
この地域の学校は、1学年20名ほどの規模。同級生のほとんどみかん農家という環境で育ったといいます。
そして、多くの幼馴染が、一度は、外の世界に飛び出すものの、誰にいわれるわけでもなく、自然にこの地に戻ってくるそうです。
今でも、玉津地区約180名の生産者のうち、40歳以下のメンバーが60名を超え、非常に若い力が揃っています。
災害に挫けず強くなる
玉津地区

2018年7月に発生した西日本豪雨で、玉津地区は甚大な被害を受けます。
急勾配が災いし、豪雨により地盤が崩れ、全体の2割ほどの畑が流されてしまいました。
また、畑はかろうじて無事でも、農具やモノレール、スプリンクラーが壊れるなど、栽培継続が困難になりました。
問題は、豪雨により流された畑は、すぐには元に戻らないことです。
最低でも5年はかかる復興、それは高齢の農家が再開を諦めてしまうには十分すぎる状況でした。
そんな中、被災により柑橘農家の離農が増加することを危惧し、若い農家が中心になり、2018年12月「株式会社 玉津柑橘倶楽部」を立ち上げました。
玉津柑橘倶楽部では、豪雨災害の経験から、土嚢づくりのとりまとめや、高齢農家の農作業の手伝い、耕作放棄地の活用、苗の育成、人手不足解消の為の人材確保など、玉津地区の未来の50年、100年後を見据え活動しています。
「美味しいと
言って貰えるのが一番の励み」

生産者の高齢化、そして災害と、過酷な状況でも決して諦めないのは、玉津ブランドのみかんに誇りがあるからです。
産地では「諦めない強さはいつだってミカンが教えてくれた」を合言葉に、災害以降、取り組んできました。
豪雨で流された畑や耕作放棄地を整備し、他県や海外からの研修生や就農者を受け入れる準備も進んでいます。
災害直後には、「復興みかん」として多くの方からご支援頂きました。
これからは、その感謝の気持ちを忘れず、「諦めないみかん」として、未来への希望を込めて箱詰めします。