水を選び、魚を育てる。
奥伊勢の水が育てる、
3億年の魚とキャビア。

「キャビア」と聞けば、海外のものを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、日本にもあります。
三重県・奥伊勢でチョウザメを育て、その卵を採り、キャビアに仕立てている「奥伊勢キャビア」です。
つくっているのは、伊勢まぐろの養殖に30年携わってきた辻さん。
魚を美味しく育てるためなら、餌を自分で考え、養殖機材までつくってしまうほど、魚への探求心が強い人です。
そんな辻さんがチョウザメの歴史や生態に魅了され、チョウザメを育てる場所として選んだのが、奥伊勢でした。
きっかけになったのは、「水」です。
採れた卵は、3%の薄塩で。

採れた卵は、岩塩を使った「マロソル製法」で仕上げます。
マロソルとは、ロシア語で「薄塩」のこと。
塩分濃度は3%です。
塩の角がまろやかな岩塩を使い、加熱処理は一切しません。
生のフレッシュキャビアだからこそ、卵の粒感や風味を楽しめる。
卵そのものの味わいを生かす仕立てです。
全国の川を巡って、
奥伊勢へたどり着く。
そんなチョウザメを育てるなら、どこでもいいわけではない。
そう考えた辻さんは、全国の河川を巡りました。
そして見つけたのが、奥伊勢の始神川です。
伊勢神宮へと流れる宮川。その上流にある奥伊勢。
深い山々に囲まれた、どこか神秘的な土地です。
始神川の水を調べると、チョウザメの体液と同じpH7.4を示した。
「ここだ」
そう決めたといいます。
辻さんには、
「魚の味は9割、環境で決まる」
という考えがあります。
美味しい魚を育てたいなら、まず魚が暮らす場所を考える。
奥伊勢キャビアは、水を選ぶところから始まっています。
3億年前から生きる魚。
チョウザメは、名前に「サメ」とありますが、サメの仲間ではありません。
チョウザメ目チョウザメ科に属する硬骨魚類。約3億年前から姿を変えずに生き続けてきたとされる、古代魚です。
4〜5か月餌を食べなくても耐え、水から上がると体から粘液を出して身を守り、半日ほど生きることもある。陸上ではヒレを使って移動することさえあります。
平均寿命は50〜60年。品種によっては150歳を超えるものもあるそうです。
そんなたくましい魚ですが、稚魚のころは少し頼りない。
目が見えないため、水面を底と勘違いして泳ぎ、立ち泳ぎや背泳ぎのような姿を見せることがあります。
1年ほど経つと、その姿は見られなくなる。
古代から生き続けてきた魚に、そんな愛嬌のある一面があるのも面白いところです。
「皇帝の魚」と呼ばれた。

人との付き合いも古い魚です。
古代ギリシャから古代ローマにかけて、栄養価の高いチョウザメは珍重されていました。
古代ローマでは「皇帝の魚」と呼ばれ、宴席に登場すると、花冠をかぶった奴隷が音楽に合わせて恭しく運んだとも伝えられています。
その価値は、今では想像しにくいほど。
アンフォラと呼ばれる大型の陶器の壺、20〜26リットル一杯分のチョウザメの肉に、羊100頭以上の価値があるとされたほどです。
いまではキャビアのイメージが強いチョウザメですが、昔は魚そのものが、それほどの価値のあるものだったわけです。
神の魚が、
神の地で育つ。

ここには、もうひとつ面白い話があります。
もともと日本に生息していたが、絶滅してしまったチョウザメ。
チョウザメは、アイヌ語で「カムイチェプ」と呼ばれることがあります。
「カムイ」は神、「チェプ」は魚。
つまり「神の魚」。
伊勢神宮へと流れる宮川の上流、奥伊勢。
その土地を流れる始神川。
そこで育つ、神の魚。
神にまつわるものが、こんなふうにつながっていくのも不思議なものです。
ベステルを育てる。
餌も自分で考える。

育てているのは「ベステル」というチョウザメ。
最高級ベルーガとスターレットの交配種です。
そして、餌にも辻さんの工夫があります。
地元特産の「奥伊勢えごま」の絞りかすを配合したオリジナルの餌。
えごまに含まれるα-リノレン酸(オメガ3)が魚の健康に影響することに着目してます。
こうして、採卵できるまで4〜5年。
水を選び、環境を整え、餌を考えながら、チョウザメを育てていきます。
魚が暮らす場所まで、
きれいにする。
養殖場に入って、まず驚くのが臭いのなさです。
取材時は30℃を超える真夏。ビニールハウスの中は40℃近くにもなります。
それでも、餌や魚の糞による水産養殖場特有の臭いがまったくありません。
チョウザメは口が下向きについていて、目もよく見えない。ヒゲの触覚や臭いを頼りに、底にある餌を探します。
だから、餌と一緒に水槽の底にあるものまで口にしてしまう。
そうすると身にその臭みがでてしまいます。
そこで辻さんは、水槽の中央をくぼませ、残った餌や糞が自然に排水へ流れる仕組みをつくりました。
それでも残るものは、自家製の水中掃除機で目視しながら取り除く。
排水システムの配管も、3日に一度清掃します。
魚が暮らす場所をきれいに保つ。
当たり前のようで、毎日続けるとなると簡単なことではありません。
魚だけでなく、
川のことまで考える。

奥伊勢の自然の中で養殖を続けるからには、魚だけ良ければいいわけではありません。
周囲の環境にも配慮しています。
そのひとつが、アクアポニックスを応用した水の仕組みです。
冬場は、魚の排泄物などを微生物が分解し、その栄養をクレソンが吸収。
魚の水を浄化しながら、クレソンを育てています。
そしてクレソンが育ちにくい夏場は、水を浄化してから川から水を取り入れ、養殖に使った水も浄化してから排水する。
魚を育てるということは、川の水を使うということでもある。
だから、その水を川へ戻すところまで考える。
奥伊勢の水を選んだ辻さんならではの養殖です。
「まだ採らない」
という選択。

4〜5年育てたら、すぐにキャビアが採れる。
というわけでもありません。
奥伊勢キャビアでは、卵径3mm以上を基準にしています。
採卵前には少量の卵を取り出し、状態を確認する。
卵が十分に仕上がっているかを見て、採る時期を決めます。
実際、25歳になるチョウザメでも、昨年検卵した際の卵径は2.8mm。
基準に届かなかったため、採卵を見送ったそうです。
採卵は開腹して行う昔ながらの方法。
一尾から採卵できるのは、一度きりです。
だからこそ、年齢だけでは決めない。
魚を見て、卵を見て、待つ。
現在は約1500尾を育てながら、毎年300尾ほどの稚魚を加えています。
キャビアだけではない。
もちろん、オスのチョウザメからはキャビアが採れません。
こちらは身として出荷され、名だたる料理人からも好評だといいます。
刺身で食べても美味しい。
そう聞くと、辻さんが育てているのは「キャビアの原料」ではないことがよくわかります。
美味しい魚を育てる。
その魚から、キャビアが生まれる。
辻さんが30年にわたって魚と向き合ってきた、その延長線上にあるのが奥伊勢キャビアなのです。
奥伊勢の水から、
一粒のキャビアへ。

約3億年前から生き続けてきたチョウザメ。
その魚を育てるために、全国の川を巡って選んだ奥伊勢の水。
水槽の形を考え、掃除をし、周囲の環境にも気を配り、餌まで自分で考える。
4〜5年育てたあとも、卵の状態を見ながら採卵の時期を待つ。
そして採れた卵を、3%の薄塩で仕立てる。
そうして、ようやく一粒のキャビアになります。
奥伊勢の水と、辻さんの魚への探求心。
3億年を生きてきた魚が、いま奥伊勢で育ち、一粒のキャビアになる。
「奥伊勢キャビア」は、その土地と人と魚がつながって生まれたキャビアです。











