千二百年近い歴史 日本の素麺のルーツ
玉井製麺所の三輪素麺
三輪族の氏神 狭井久佐の次男
穀主が素麺づくりの祖
その源流は天長四年(827年)までさかのぼります。11月から3月の冬の農閑期 三輪の民は奈良盆地の冷え込みと寒暖の差を生かし、極上の素麺を作る技術を確立しました。当時から三輪地方は、良質な小麦と水に恵まれ、さらには、早くから水車の技術が発達していた為、製粉技術も進んでいました。その後、三輪素麺は伊勢に伝わり、伊勢詣の人々により、全国各地に伝播していきました。播州、小豆島、島原など、全国各地の素麺産地のルーツは三輪と考えられています。
三輪山をご神体とする大神(おおみわ)神社
毎年二月五日、全国の素麺製造者たちが、この神社に集まり、「高値」「中値」「安値」の3種類の中から、ト定の神事によって、その年の相場が占う儀式が、古式に法って行われます。まさに、三輪は日本の素麺の源流であり、本家本元と言えます。もちろん、日本で指折りの歴史を誇る大神神社の徹下品はお素麺です。※ 徹下品とは神社に奉納した際のお返しの品
希少な国産小麦の三輪素麺を作る
玉井製麺所
二百数十軒の三輪素麺の製造元の中でも希少な国産小麦で現在も製造を続けている一軒が玉井製麺所。全国各地の素麺と比べて、より細いことを身上としている三輪素麺は、そのほとんど全ての原料小麦はカナダ、メキシコとオーストラリアの強力粉です。外国の強力粉に比べ、グルテンが少ない日本の小麦粉で極細の素麺を作ることは非常に難しく、高い技術が必要です。
玉井製麺所の技術の高さを物語るのが、三代目素麺師(おもし)玉井昭治の技で生み出す極細素麺。通常の三輪素麺が1束300〜400本のところ、何と、1束に500〜600本もの素麺が入ります。これだけ手延べで素麺を伸ばすことはとても難しいです。
玉井製麺所で
三輪素麺ができるまで
三輪素麺は出来上がるまでに2日掛かります。その為、毎朝四時半におもしは天候を見据えて、塩と水を加減し、こねの工程に取り掛かります。三輪素麺の生地が長尺のうどん状になるまでには、およそ8時間の時間を掛けます。先ずは帯状に伸ばしてから、折りたたみを重ね、よりながら、一本の長いうどん状に仕上げます。その工程はまさに日本刀を鍛える工程のようです。『たたんで、よって 生地を鍛える!』この鍛錬の工程があって、極細ながら強靭なこしの有る三輪素麺が生まれます。翌朝、熟成が終わった生地は、特殊な機械である程度の長さに伸ばされます。その後、手作業で引き伸ばし、長い箸でくっつかないようにさばいていきます。長さ2メートルまで手延べしてから、天日と寒風の力で短時間に干し上げます。乾燥した素麺を19センチに長さに切り、結束して完成。製麺師の長年の経験と感がなせる技です。
素麺は梅雨を越さなければ
美味しくないのか?
私が玉井製麺所を訪ねたのは3月23日。今年度の素麺作りも終わりに近づいていました。『新物』の素麺は二度目の梅雨を越すと『ひね』、三度越すと『古(大)ひね』と呼ばれる。一般には古くなるほど価値があると言われています。素麺の業界では、梅雨を越すことを“厄”と言います。梅雨の適度な湿気を含んだ夏に、そうめんは食べごろを迎えると言われています。
香りの新 vs 腰のひね
実際、私が現地で新ものとひねものを食べ比べた結果、ひとつの結論に達しました。小麦本来の味と香りを楽しむのであれば、「新もの」。素麺特有の切れと腰を楽しむのであれば、「ひねもの」。では、なぜ?素麺はひねに限ると、一般的には言われるのか?ここからは推測です。素麺は短く、長さは19センチ。これだけ短いと、素麺は麺つゆの中に完全に浸かり、それを頂くことになります。ただでさえ細い素麺。麺つゆに浸かってしまえば、小麦の香りや味はわからなくなってしまいます。
江戸っ子の蕎麦切りの食べ方と同じですが、素麺も『ちょいづけ』で食べるのであれば、新ものの方がずっと香りが立ち、小麦を食べているという実感があります。それはまさに、極上のスパゲッティを食すと同じで、小麦本来の味をかみ締めることができます。ところが、極細の素麺の場合、箸で手繰って、つゆに落として、ほとんど噛むことなく、のど越しを楽しみますから、美味しさの鍵を握るのは、『香りよりも、歯ごたえ(腰)』になったというのが、私の結論です。正直に申し上げますが、新ものには、新もの特有の魅力が十分にあります。玉井徳栄おばあちゃんに『4年以上寝かしたら素麺はどうなりますか?』と聞いてみました。『堅いだけで、味も香りもない、枯れた素麺になっちゃうよ』
徳栄ばあちゃん談
素麺は冷たいものとお思いの方が多いですが、温かい煮麺も美味です。ちょっとお腹が空いた時や飲んだ後には最高です。油が多いラーメンなどよりも、ずっとヘルシーで、短時間で出来るのも魅力です。
株式会社 食文化 代表取締役社長 萩原章史