とれたてを産地直送
スーパーでも広く販売されている『デラウェア』ですが名産地「勝沼」で作ると一味も二味も違います。
梗も太く、ずっしりとした房は実詰まりの良さを感じさせ、チュルッと1粒つまめば、しっかりと感じられる強い甘味と口から鼻に抜ける複雑で華やかな香り…。
巨峰やマスカットに対し手頃な価格で、種なしブドウの定番として広く親しまれてきたデラウェアその本当の美味しさをご堪能下さい。
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消費期限 | 青果物ですので、お早めにお召し上がりください。目安として2〜3日。 |
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保存方法 | 冷蔵 |
販売情報 | 販売終了 |
明治時代、1872年にアメリカから日本に伝来したのがデラウェア。現在の生産量1位は山形ですが、栽培が始まったのは勝沼の隣の奥野田です。山梨においてはその後、ブドウ栽培の好適地である勝沼で大きく広がります。
水はけのよい砂質、火山灰質土壌、日照時間の長さ、さらに菱山地区に代表される南から南西向きの急斜面、東の峠から吹き降ろす「笹子おろし」がもたらす寒暖差など、ここにはブドウが美味しく育つあらゆる要素が揃っています。
種なしブドウの定番、一人一房ずつ食べられ巨峰やマスカットに対し手頃な価格が魅力。子供たちに食べさせたり、夏の手土産の定番としてもお勧めです。
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【勝沼は日本のブドウの歴史そのもの】
日本におけるブドウ栽培の始まりは2説あり、まず1つは大善寺説。奈良時代の僧・行基が修行の満願の日に右手にブドウを持った薬師如来が夢枕に立ったので、早速その像を彫り、大善寺に安置したところ、ブドウの樹を発見。それを薬草として育て村人に広めたとするものです。
もう1つは雨宮勘解由説。1182年、農民の雨宮勘解由が石尊宮を参詣した際に他のヤマブドウとは異なる樹を発見し、それを持ち帰って栽培したものが広まったとするものです。
時代も異なる2説ですが、いずれも場所は現在の勝沼。つまり勝沼こそが日本のブドウ発祥の地であるというのは、どうやら間違いなさそうです。
その後、江戸時代に甲州街道が整えられると、そこを通って幕府にブドウが献上されるようになり、その余剰が神田の青物市場で取引されるなど、勝沼のブドウが商品としての価値を持つようになります。
また、松尾芭蕉は「勝沼や馬子もぶどうを食いながら」と歌い、食の図鑑「本朝食鑑」にも「甲州ブドウを第一」とする記述が残っているなど、この時代には「勝沼=ブドウ」としてすっかり定着しました。